コミュニケーション力の落とし穴?
褒めたつもりだったけれどキレられちゃったんだよな?
私が最近ハマっている性格統計学(講座)のお話です。もともと、人間関係に疲れて副業をはじめ、それにのめり込んでしまった人は、私のようにコミュニケーション力に不安を感じている人も多いのではと思います。
予習ポイント
- 人間関係を無意識に破壊していないか
- 悪意のない表現でも受け取られ方が違う
「コミュニケーションは苦手で」と言っている人で、実際に問題なく人間関係を意味のあるように動かせている人は、それはそれで問題ないのですが、関係を破壊の方向に動かしてしまう人は、それは罪だと認識すべきでしょう。例えば、私(あなた)が関係の中に入るか含まれると、皆の関係がギクシャクする、壊れていくなどのケースです。
いくつか、私の不安を解消する情報商材も見つけたのですが、中身がイマイチピンぼけで、私が活用しきるには難物でした。そのため、たとえ使ったとしても、自分自身が使いこなせていないものはこの場では紹介しません。 それでも、発想の転換をし、情報商材ではなくて無難なオーソドックスなセミナーがないかと探しておりました。
そんなさなか、目に止まったのが「伝え方コミュニケーション検定」というものです。翌々考えたら、コミュニケーションって何なのか、私自身よくわかっていないことに気づきました。セミナーやら商材やらに手を出す前に、ドが付く基礎をまず頭に入れて、不満を感じたらセミナーでもなんでも高額のものに手を付ければよいのでは、と極めて当たり前のことに気づきました。
真ん中ポイント
- コミュニケーション力はスキル
- コミュニケーション力はパターン化して身につけることが可能
私のような人間は、コミュニケーション力不足で本来被らなくてよいトラブルによくぶち当たります。例えば不要な一言を付け加えてしまったり、良かれと思って助言のつもりで言ったことが「悪意」と受け取られたり、言葉を端折ってシンプルに感想を言ったら「なんてこと言うのよ!」とキレられたり、いずれも私が悪意を持ってやったことではなく、むしろ仲良くなりたくて言ったことです。
でも、もっと悩んだのが上のように、後から「アノ言葉が悪かったのかな」などと省みる事ができるものならまだ反省のしようもあるのですが、原因をまったく特定できないタイプのコミュニケーション失敗です。
自分でなかなか気づかなかったのは、頑張っているスタッフに対して「頑張ってるね」「おつかれさま」「いいね!」みたいな自分としては褒め言葉を連発して、励まし感謝を伝えているつもりでした。はかし言葉を受け取るスタッフ側からは「何いってんの?」「はァ?」みたいな反応でした。最後には、スタッフが離職するというオチがついてきます。
この状況を自分なりに分析しても、「スタッフばかり働かせて自分はどうなんだょ」みたいに思っているのかなとしか考えられなかったわけです。自分としてはしっかり支えたつもりで、スタッフの適性の問題だと納得することもできましたが、原因はどこにあるのか見つけないと、気になって仕方がないという日がありました。
結局はコミュニケーション力不足だった
社会的ルールという観点だけで言えば、言葉を発する(声が出せて言語が理解できる)能力があれば、悪意的に使わない限りコミュニケーション力はあるということで構わないと思います。それができれば、車にガソリンを入れたり、きっぷを買ったり、スーパーで買い物するくらいはなんとでもなります。しかし、人に「頼み事をする」場合や「感謝を伝える」場合は、コミュニケーショ力の熟成度によって受け取られ方が違います。
そんなことは、おそらく百も承知な人が多いのではと思います。だから世に「話し方講座」のようなものが繁盛しているわけですが、私の場合はその手の講座だけでは、少々コミュニケーションがマシになっただけで、本質的なものは改善されませんでした。 というのも、話し方や声の強弱が大切だと解く講座は、言っていることはもっともなのですが、テクニックに終始してしまって、いわばテストに受かれば後は総忘れになるたぐいのものが多いからです。そもそも、私自身の根本的な問題、「良かれと、親切に優しく声をかけた」つもりなのに相手に「キレられる、不信感を買う」というトラブルが解決できなかったからです。 言い方や、その場の雰囲気を改善することで、少々伝わり方は変わりましたが、結局は感謝の気持ちは伝わりませんでした。 これを総まとめして、「コミュニケーション力不足」と表現することは簡単です。しかし、問題が解決できなければ何も進展しません。ただ相手の責にして自分を養護することになりがちです。
コミュニケーション力をどう活かすか?
コミュニケーション力というのは、曖昧な概念でやたらとこの言葉を使いたがる人は、ヤバいと思います。というのも、その活用法が不順なものが多いからです。
- コミュニケーション力があればナンパの成功率が上がる
- コミュニケーション力があれば契約率が上がる
- コミュニケーション力があれば苦情を避けられる
などが主な理由に挙げられるようですが、その中には不順さがないでしょうか。一回限りのナンパの成功率を上げるなら、それに特化した情報商材があります。苦情・クレームを処理するなら、それに特化したマニュアルがあります。 この手のことに、一時的に対処するために、コミュニケーション力だけで対処するのは、少し方法性が違います。それは繰り返しますが、対処法としては面倒なコミュニケーション力云々よりも、もっと迅速に強力に効くテクニックがあるからです。
結論から申しますと、コミュニケーション力は継続的に活用するものです。コミュニケーション力と言葉自体がどうもその場限りの処世術的な印象があるので、「性格統計学」と呼ぶのは悪い感じがしません。「学」とつけているので、なんか学問っぽいですが、中身は学問的なものではありません。別に分散や標準偏差を駆使した統計学ではありません。 私の印象では、どちらかといえば心理学に経験則を足したものと言う感じです。
性格統計学をどう活かすか?
では、コミュニケーション力という呼び名をやめて、性格統計学にするなら、それをどう活用するのか考え見ます。 リンク先の公式サイトには「初級検定」「中級検定」「上級検定」みたいなことが書かれていますが、私的にはどうでもいいものです。 一応補足的な説明しますと、コミュニケーション検定は一応資格化しているようですが、国家資格ではありません。取得そのものに値打ちがあるというより、就職・転職の際の履歴書に書けるということに意味があると言えそうです。なので、初級だろうが中級だろうが、書いておけば「この人はコミュニケーションに気をつける、心がける人だ。人間関係でトラブルを起こさない心がけがある人だ。」というアピールができる点がメリットです。 このメリットは自営業者や、すでに就職している人、転職する気もない人にはあまりメリットとは言えないので、やはり性格統計学の中身をチェックして、講座が値打ちがあるかどうかを判断する必要があります。
性格統計学の中身があれば、人間関係の向上に務めることの協力な助けになります。小手先のテクニックに終止するものだと、その場限りの効果は期待できますが(即効性)、大切な人(配偶者、親、子供、恩師など)との関係には使えません。性格統計学の場合は、相手がこちらの言葉をどう同判断するかを抑えた上で、こちらから相手に伝わるように話しますので、話の中身を変えたり、本質部分を妥協して伝えるような小細工、つまり無駄なエネルギーは不要です。
あくまで、こちらの気持ちや伝えたい中身を相手に伝わるように翻訳して話す技術、それが性格統計学です。
検定試験について
単刀直入に言いますと、コミュニケーション検定そのものは難しいものではないので、おそらくパスできないという人はいないと思います。検定にパスすることは簡単ではありますが、どちらかといえば検定よりも、中身を吸収できたかどうかの方がはるかに重要です。 中身さえ抑えておけば、すぐに実践で応用できるノウハウばかりです。
性格統計学まとめ
- 相手に中身をわかるように伝えるには、その技術がある
- 小手先の技術だと、中身のある人間関係は築けない
- 正確統計学は中身を伝える技術と理解すべし
コミュニケーション力不足かもよ